2014年8月31日日曜日

再録No.25とNo.38 セントレア・イベントと津エアポートライン・イベント

№25『地域振興と観光産業のかかわりについて2010』2月号から

2/6-7セントレア・イベント『Go to West』ドキュメント

 2月6日の午前6時。降りしきるみぞれの中、津のなぎさまち港を後にした高速連絡船フェニックスは、ゆっくりと反転すると一路空港島を目指し速度を上げた。窓の外は漆黒の闇。窓ガラスにはみぞれが軌跡を描く。が、さすがに土曜日だけに、旅支度を整えた乗船客は多く、キャビンの中は華やいだ雰囲気である。
 私は『津市観光協会』の専務理事に電話をいれた。彼は次長と共に前日夜の10時から、『奈良市観光協会』の搬入作業のお手伝いにと、一足お先に泊まりがけで先発していた。電話の向こうの眠そうな声は、無事セットアップが完了した事を告げた。
「すみません起こしてしまいましたね」私は謝ると電話をしまい、今回のイベント開催に至るまでの経緯を思い返していた。

 2009年5月15日。このふた月ほど前に、松阪市に隣接する奈良県の宇陀市で、総事業費100億円規模の大型行政イベント『平城遷都1300年祭』が奈良県全域で行われる事を知った私は、愛知万博の際に辛酸をなめた開催期間中における三重県への観光客減少を危惧し、この日、有志を集めて『奈良市観光センター』を訪問していた。呼びかけに応じてくれたのは松阪市と津市、奈良県宇陀市の観光事業者7名で、私が用意した内容は、三重と奈良との街道つながり導線の提案という形で一緒に共同歩調をとりませんかというもので、具体的には『平城遷都1300年祭』の広宣リーフレットを三重県側のみんなの店頭に置いて、中部圏側でも紹介していきましょうという案だった。
『奈良市観光協会』の専務理事と局長は快く応じてくれた。が、今思えば、内心はかなり不思議に思った事だろう。何しろ彼らはすでに奈良市が中心になって『京・伊賀・大和広域観光推進協議会』を立ち上げていたのだから。実のところ当時の私は、これを名張市主体の『東大和・西三重観光連盟』と混同していた。どちらにしても活動実態が全く分からなかったのである。

 翌月16日、私たち奈良市訪問団は9人に増えた。今度は津市、紀北町、宇陀市の観光協会責任者と『中部国際空港』の営業本部の幹部2名も加わり、奈良市側は急遽大会議室を用意してくれた。
 当初、私としては『中部国際空港』には『遷都1300年祭』のリーフレットを、奈良市には『中部国際空港』のパブリシティが相互展開できれば上出来だと考えていた。これだけでも両方の経済圏にとっては初めての事だったからである。ところが、意外な事に話はそれだけでは終わらなかった。なんとその席上で、「中部圏でもプロモーションしたい」との奈良市の声と、空港側からの「せんとくんに、セントレアへも来て欲しい」の声が同時にあがったのだ。(この時点で二日間の会場費はタダになった。)
ӌこの件は7月10日の訪問団で、よりブラッシュアップが成され、海上アクセス業者『津エアポートライン』の営業責任者も交える事となり、関係企業と各市の観光行政への働きかけを開始するに至った。同時に、奈良市側も三重側のPR協力も惜しまないとの申し出があり、間もなくオープンする旧JR奈良市駅駅舎を大改造した『奈良市総合観光案内所』への当方のリーフレットの常設や、宇陀市の『あきののゆ』における『歴代仏像ポスター展』企画も快諾してくれる事になった。
 その後の奈良市への訪問も、大体月一回のペースで行われた。奈良からの訪問団も、『津エアポートライン』にご乗船いただき『中部国際空港』へとご足労いただいた。街道導線に沿って。
 そもそも前年の2008年から開始したO.H.M.S.S.の導線調査から、国交省も県当局も、県外の、それも中部経済圏と関西経済圏の狭間で立ち回るための『術』も『前例』もない事はおぼろげながら気づいていた。行政の所轄・区分があるから当然といえば当然なのだが、しかし観光客はそんなことには関係なく広域に行動する。インバウンドならば尚さらだ。が、文化観光を主体とする公益イベントであっても、前例がない以上予算もなく県主体では動けないし、ましては西や東の空港行政に関する限り、利害調整がつかない恐れもある。だからこの『中部国際空港』における連携PR事業は、民間主導の、それこそボランタリズムで行うほかに方法はなかった。もちろん手弁当の持ち寄りでである。
 ローカリズムの点で、奈良県を含む関西圏の、『関西国際空港』をインバウンドのハブとしたい関西経済界の考え方は理解できる。だが、現実には『中部国際空港』からの入り込みも充分あり得るし、その際には導線上の三重コンテンツや、それをつなぐ海上アクセスの情報発信も重要になってくる。話してみると、奈良市側も同じジレンマに直面していた。建前よりも現実。工業製品輸出の次は文化・観光の輸出、つまり外客誘致による外貨獲得。両者の思いは同じであり利害の対立はない。これは大事なことである。

 6時40分。フェニックスは定刻に空港の港に着いた。
 タラップを降りて空港ビルへと向かい、4階のスカイタウンへとエスカレーターで上ると、イベント会場がスペースいっぱいに広がっていた。先の電話で、昨夜の設営作業には早朝1時までかかったと専務理事からきかされていただけに、頭の下がる思いだった。
 幟を立てるとポスターを貼り、預かってきた『東紀州まちづくり公社』のパブリシティも並べ終えた。準備完了だ。私はスカイデッキの写真を撮ろうと表に出ようとした。だが、積雪のためデッキは閉鎖されていた。張り紙には滑るので危険と書いてある。場内アナウンスからも欠航便の案内が聞かれ、ほどなく高速道路も通行止めとの報も入る。どうやら事故渋滞のようだった。自動車でこちらに向かっている者には過酷な状況となっているようだ。無報酬の有志ボランタリーによるイベントだけに事故に遭ったら目も当てられない。私は心底無事を祈った。
 イベントのスタート時間は午前10時。その10分前には宇陀市と紀北町が、海上アクセスで到着。車で陸廻りの飯南勢も早朝出発のおかげで辛うじて間に合った。しかし伊賀市の商工観光課と猪の倉温泉は大渋滞にはまってしまい、とうとう後者は∪ターンとなってしまった。英断だったと思う。
 この日ボランタリーでMCを務めた宇陀市の『あきののゆ』のチーフは、到着から10時のオープニング第一声までの時間があまりにも短くて、緊張している暇もなかったかと思う。しかし、昨年秋の『あきののゆ』周年祭における彼女の名MCぶりを見ていた私にとって、それは心配に価するものではなかった。心配なのは天候だけである。外は大雪だ。11時からのゆるキャラ7体大集合のアナウンスも終え、会場入口に設置されたモニターでは『本居宣長記念館』の紹介DVDをスタート、13時からのビンゴゲームの前には一仕事終えた八千代さんも海上アクセスで到着し、MCの号令一下、大ビンゴゲームが始まった。2等賞のせんとくんヌイグルミは幼い女の子に当った。着ぐるみせんとくんが「おめでとう」と手渡せば、お母さんに抱っこされたその子は怯えて泣き叫ぶ。景品には、奈良の産品に混じって松阪からも清水酒造の『勲泉』も出て、大いに賑わいを見せてくれた。しかし、ビンゴカード配りを快く引き受けてくれたビジネスホテルの三人組は、これにより、うねりの為に急遽欠航となった海上アクセスを一便逃す事になってしまった。ごめんなさい、帰りの段取りが狂って。

 7日の17時、イベント終了。粛々と片付けが始まり、三々五々と帰路に就く。打ち上げ会などはない。津市の専務理事は東京事務所のイベント出張帰りのまま、3日間こちら側への泊まりがけ続いてクタクタの様子、着ぐるみ誘導係を二日間務めてくれた人材会社の社長も公休が潰れて、ごめんなさい。「なんとか物販も」と言う、空港側の求めに応じて参加してくれた『NEXT2000』の『シロモチくん』グッズは果たして採算はとれたのか、保冷剤を使い果たした着ぐるみ『ミスギン』に入っていた、美杉地域振興室の方は無事だったのか・・・。
 空港から借りていたテーブルを全て畳んで舞台裏に片付け、20枚のパテーションを会場からはるばる隣のセントレアビルへと返却。大荷物をまとめ終えた奈良市の皆さんは、搬出約束の時間待ちも兼ね夕食をとるとの事で、その場でお別れとなった。
 みなさんお気をつけて!

 空港側の調べによりますと、悪天候にもかかわらずこの日の来場者は3万1000人を数えたそうです。中には欠航で足止めを食らったお客さんもいました。翌日は何人かのメンバーチェンジがあり、スタッフの総数も減りましたが、幾つかのマスメディアに書いてもらったおかげと天候回復も相まって、7日は3万6000人もの来場者がありました。
 今回のイベントは、共通の情報と目的意識を持った士気の高い参加者みなさんの頑張りのおかげだと思います。奈良市、宇陀市の古代文化、津市の街道文化、松阪市の食文化、紀北町の海文化と、ポテンシャルはもともと皆が持っているものばかりです。私はちょこっと繋いで後押ししたに過ぎません。1+1が3、つまり単独ではできない事もテーマを摺り合わせれば成し得るというメッセージが、うまく伝わったかどうかも疑問に残ります。取材にみえた新聞記者さんも、上っ面のイベントにしか興味はないようでした。が、いずれ皆が必要に迫られる事ばかりだと思います。なにしろインバウンドは非常に大きな行動導線を描きますので、一市町村あるいは単一県だけで対応できる事業ではないからです。今回のイベントの真意はまさにそこで、『中部国際空港』から三重、そして奈良へとつづく街道コンテンツを示す事は、そのまま海外集客のコース構築足り得るものになるからです。私は、『関西国際空港』までをも貫く『広域連携導線』を思い描いていますが、紀伊半島縦断コースを作り上げるのには、世界的知名度のある登竜門コンテンツを宣伝する必要があると思います。

 2月8日の朝。奈良市から全員無事帰着できたとの連絡がありました。これで業務終了です。
 みなさまありがとうございました。

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ohmss700@gmail.com

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追伸

中日新聞『逆風に挑む3』の中、ゆるキャラ2体との記述については、7体であるとのクレームを入れておきました。
書いたのは、取材に来た担当記者ではないとの事でした。

No.38『地域振興と観光産業のかかわりについて2011』3月号から

【Go West 2】

 同じ紀伊半島に在り、昔から街道で繋がる三重県と奈良県は、経済圏が中部と近畿とに分かれているため、長いあいだ観光経済に関する情報疎通がありませんでした。しかし、昨年の『遷都1300年祭』を契機にセントレアで開催致しました広域連携イベント『Go  West』を経て今度で二度目となる『Go West 2』では、いよいよ舞台を津市なぎさまちのエアポートラインに移し、三重県初の奈良プロモーションとなりました。
 固定客のある空港と違って動員は多い方ではありませんでしたが、26日には初日の午前中のプレイベント会場である松菱(二日目27日は大門商店街)で、毎日新聞と中日新聞が取材に入り、その前日にはFM三重や三重TV、NHK津放送局がイベント紹介をオンエア、三重ふるさと新聞とZTVも取材に加わり、現地メディアへのプロモーションとしては、概ね目的を達する事ができました(ZTVの契約数は三重、滋賀、和歌山あわせて約24〜25万世帯、三日間連続オンエアでした)。有難うございます。
 今回おいでいただいたキャラクター達は、せんとくん、奈良のしか、シーカくん、しのぶ(赤忍者)、いが☆グリオ、きーほくん、シロモチくん、ゴーちゃん、ちゃちゃも、うーまくん、そしてミス奈良のお二人です。彼女達とのスリーショットにご満悦だったところから、松阪市のちゃちゃもが実は男の子だった事が判明したり、「初めてせんとくんに会えた」とはしゃぐ小さな女の子に、「私、大ファンなんですぅ〜」と喜ぶ大きな昔の女の子達、うず高く山積みだったにもかかわらず、あっという間に売り切れた『飛鳥ルビー(苺)』、そして、『三重子供の城』館長による見事な皿回し芸にも敬服した次第です。
 初日の夜にはデッキに『燈火絵』を再現、雨模様との予報に反して二日目も好天に恵まれ、セントレアの時とはまた違った、実にゆるゆるのんびりとした小春日和のプロモーションでした。おかげで人と人、地域と地域を点から線、線から面へと結ぶヒューマンリンクを創る点でも申し分ない場となりました。
 なお、今回用意した『アクティブセンターうだ』の用意したパンはスタッフにも好評で、量質ともにとても助かりました。初日だけの出店でしたので、「今日は来ないの?」と皆に訊かれたぐらいです。この障がい者福祉学習センターには、今回はるばる県境を越えて来ていただいた点、社会との接点を確かめられた点でも有益だったと思います。
 皆様お疲れ様でした。

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